一世一元の詔 - Wikipedia"一世一元の詔(いっせいいちげんのみことのり)は、慶応4年9月8日(グレゴリオ暦1868年10月23日)、慶応4年を改めて明治元年とするとともに、天皇一代に元号一つという一世一元の制を定めた詔。明治改元の詔ともいう。原文「太乙を体して位に登り、景命を膺けて以て元を改む。洵に聖代の典型にして、万世の標準なり。朕、否徳と雖も、幸に祖宗の霊に頼り、祇みて鴻緒を承け、躬万機の政を親す。乃ち元を改めて、海内の億兆と与に、更始一新せむと欲す。其れ慶応四年を改めて、明治元年と為す。今より以後、旧制を革易し、一世一元、以て永式と為す。主者施行せよ。」"これでしょっちゅう元号を替えるという無駄が解消された。
年号を定めるようになったのは持統天皇の次の文武天皇の代かららしい。年表をみると、それまでは年号はなく天武天皇の時代とか持統天皇の時代と書いてある。文武天皇の5年目、対馬から金が出たので「大宝」と年号を定めた。以来、天災地変などを理由に頻繁に年号を改元してきた。後醍醐天皇などは8回も改元している。その都度たいへん繁雑な事務手続きがあった。でも改元しても世の中は変わる訳でもなく、時間と労力の無駄遣いだった。そのことにようやく気がついたのだ。
現代でも、いろんなところに時間と労力の無駄遣いをやっている制度が多い。でも無駄を止めると仕事がなくなってしまうので「存在するものはすべて合理的である、これは美しいニッポンの伝統だ」と屁理屈を付けて合理化に反対する既得権者が多い。困ったことである。
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